<人工呼吸器の世界的な不足は利益優先で高度な機器開発ばかり進んだから> 世界各地で新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、人工呼吸器の需要が急増している。イギリスでは、国民保健サービス(NHS)によると少なくともさらに3万台が必要になる見込みだ。ニューヨーク州のアンドルー・クオモ知事は4月2日に、在庫はあと6日分だと訴えた。 言うまでもなく、貧困国ははるかに深刻な状況だ。もともと人工呼吸器の供給は極めて少なく、追加で購入する資金はほとんどない。中央アフリカ共和国は全国で3台。リベリアは1台しかないとみられる。バングラデシュは人口約1億6400万人に対し1800台以下だ。 緊急事態に備えていなかったと、政府を批判することは簡単だ。しかし現実には、これほど短期間の需要の急増に対応することは、どのような規模の経済でも極めて難しい。 一方で、目の前の人工呼吸器の不足は、現行の経済モデルの構造的欠陥を物語っている。問題は、資源をどこに配分するかということだけではない。そもそも技術開発をどのように思い描いて実行するか、その選択の際に公衆衛生をどの程度考慮しているか、ということだ。 今回の危機は私たちに、何を、どのように、誰のために生産するかという根本的な問題を突き付ける。 1920年代に呼吸補助装置が発明されて以来、この分野の技術は著しく進歩した。ただし、ケニアのNPO「公衆衛生発展センター」のべルナルド・オラヨ会長が指摘するように、貧困国が必要な数の人工呼吸器を確保できたとしても、操作できる人材が足りないだろう。 高価で複雑な技術を独占 人工呼吸器が世界の大多数の人の手に届かなくなったことは、技術革新の結果ではなく、経済的なインセンティブによるものだ。市場の需要が技術開発を主導してきたため、企業はより高価で複雑な装置を作り、知的財産の仕組みで自分たちの技術を守って、それなりのカネを払える客に売るようになった。 技術革新のプロセスは、ほかにもあり得たはずだ。より高度な人工呼吸器と並行して、よりシンプルで、手頃な価格で、使いやすいモデルを開発することもできただろう。 実際にそのような試みもあった。2003年にSARS(重症急性呼吸器症候群)の流行を経験した後、06年に米保健福祉省(HHS)内に 生物医学先端研究開発局(BARDA)が新たに設置された。その使命の1つは、迅速に輸送できて、備蓄しやすく、安価で、持ち運びできるシンプルな人工呼吸器を設計することだった。 その後、ある民間企業が米政府と数百万ドルの契約を結び、BARDAのコンセプトを基に開発を始めた。11年には試作品が披露された。 しかし12年に、この企業は大規模な業界再編の一環として、「従来の」人工呼吸器を製造する大手医療機器メーカーに買収された。試作品まで進んでいたプロジェクトは、間もなく打ち切られた。 ===== 市場の力を頼りに技術革新の資源を配分した結果、高価で、可動性が低く、独占所有権を伴う高度な技術を用いて、操作が難しい人工呼吸器しか製造されなくなった。しかし本当に必要なのは、手頃な価格で、持ち運びしやすく、シンプルで使いやすい機器だ。 人工呼吸器をめぐる現在の惨状は、特に公衆衛生のように必要不可欠な分野において、技術革新の意味とプロセスの再考を迫っている。より収益性の高い複雑な技術だけでなく、より手頃な価格で、生産や維持が簡単になり、使いやすくなるような技術革新を促進する、新しい国際的なメカニズムが求められているのだ。 1世紀前に発明された技術を、世界の大多数の国の手が届かないところに飾っておく意味はない。私たちは今、その教訓を苦しみながら学んでいる。 <本誌2020年4月28日号「特集:日本に迫る医療崩壊」より転載> ©2020 Project Syndicate ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年5月5日/12日号(4月28日発売)は「ポストコロナを生き抜く 日本への提言」特集。パックン、ロバート キャンベル、アレックス・カー、リチャード・クー、フローラン・ダバディら14人の外国人識者が示す、コロナ禍で見えてきた日本の長所と短所、進むべき道。