<世界各国の研究機関や企業が急ピッチで進める研究開発──実用化には多くの関門があるが、有効な薬の事例が各地で報告されている。本誌「コロナ特効薬を探せ」特集より> 新型コロナウイルス感染症が今のように世界に広がるずっと前から、感染症の専門家たちは、いずれこのような事態が起こると警告し続けてきた。 何しろ、その病原体は感染力と致死力が高いだけでなく、研究論文もワクチンも治療薬も存在しない。今のところ、私たちが知る最も効果的な対策は原始的な方法──隔離や社会的距離戦略といった、感染者(または感染が疑われる人)から距離を置くというものだ。 人間が新しい病原体にいかに弱いかは、今回の新型コロナウイルスの流行で痛いほど明らかになった。アメリカの感染者は140万人を超え、死者は8万5000人に達した。WHO(世界保健機関)は、アフリカで数千万人に感染の恐れがあるとしている。 これほど医学が発達した時代に、治療法が存在しないという事実は、ある意味で驚異的なことだ。現代の医学は、遺伝子工学や機械学習やビッグデータによって飛躍的な発展を遂げている。それなのに猛スピードで広がる新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に、私たちは太刀打ちできないかに見える。 だが、人間は決して手をこまねいていたわけではない。 中国湖北省の省都・武漢で、通常の肺炎とは様子が異なる肺炎が目立ち始めたのは昨年12月半ばのこと。中国当局は年明け早々に病原体の調査に乗り出し、複数の患者の検体を調べた。すると1週間もしないうちに新型コロナウイルスの分離に成功し、5日後にはそのゲノムの塩基配列を解読して、データをインターネット上で全世界に公表した。 このデータを基に、世界各国の研究機関が新型コロナウイルスの分離に次々と成功。さらにウイルスの立体構造が再現され、これを解析して、既存の医薬品で治療薬になりそうなものを探す動きが始まった。一方、病理学者は分子生物学のツールを使って、ウイルスを包むタンパク質の殻を破る方法を探った。 「息をのむようなスピードで研究が進んでいる」と、米コロンビア大学公衆衛生大学院のアンジェラ・ラスムセン研究員は語る。「これまでにないペースだ」 ゲノム解析で研究が迅速化 世界各国で感染者が爆発的に増えるなか、研究者が全力を注いでいるのは、有効な抗ウイルス薬の発見とワクチンの開発だ。 近年、トップクラスの研究所では、ウイルスのゲノムを解読するシステムを「標準装備」している。新型コロナウイルスが、2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)コロナウイルスと、2017年に雲南省の洞窟で見つかったコウモリのコロナウイルスに非常によく似ていることが分かったのもそのためだ。おかげで治療薬やワクチンの研究を、ゼロから始める必要がなくなった。 ===== ウクライナの首都キエフで赤外線放射温度計で体温を測定される男性(3月) OVSYANNIKOVA YULIA-UKRINFORM-BARCROFT MEDIA/GETTY IMAGES 迅速なゲノム解読技術は、世界に広がったウイルスの変異を調べる上でも役に立っている。「最近、シアトルの感染者のウイルスを調べたところ、1月半ばにアメリカで発生した感染者第1号の型と一致することが分かった」と、ラスムセンは言う。一方、ニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、ニューヨークで広がっているウイルスの型は中国からヨーロッパ経由で入ってきたとみられている。 こうした研究により、各国の公衆衛生当局は早い段階から新型コロナウイルスの驚異的な感染力に気付いてはいたが、感染の速さに対応できない国もあった。現在、中国では感染の収束を迎えたが、アメリカではまだ感染のピークが見えず、集中治療室が呼吸困難者であふれ返らないようにすることが最重要課題だ。 新型コロナウイルスは、とりわけ肺を攻撃することが分かっている。すると免疫システムが反応して、白血球などの免疫物質が大量に肺に送り込まれる。重篤なケースでは、これにより酸素を血液に取り込む肺胞が塞がってしまい、呼吸が苦しくなる。このような場合、人工呼吸器で肺のまだ機能している部分に高濃度酸素を送り込み、肺を休ませることで、ウイルスの攻撃を乗り切るのに必要なエネルギーを蓄える治療方針が取られるのが一般的だ。 だが、人工呼吸器の数は危険なまでに限られている。アメリカの場合、重篤な肺炎患者(推定240万〜2100万人に達する見込み)に対応する設備を備えた病床は全体の10分の1以下とみられている。 効果のありそうな抗体を選ぶ 抗ウイルス薬があれば、人工呼吸器が必要になる時間を減らすことができる。このうち有望視されているのは、免疫反応を抑えて肺の機能を維持するタイプの薬だ。 例えば、大阪大学と中外製薬が関節リウマチ治療薬として共同開発したアクテムラ(一般名トシリズマブ)。中国科学技術大学付属第1病院(安徽省立病院)と阜陽市第2人民病院は、アクテムラを21人の重篤患者に使用したところ、全員が数日で平熱に戻り、他の全ての症状も「著しく改善した」と報告。最終的に、19人が投与から3週間以内に退院した(中外製薬は現在、新型コロナ肺炎への適用拡大に向けた臨床試験を進め、年内の承認申請を目指している)。 リジェネロン・ファーマシューティカルズ(ニューヨーク州)が重症患者向けの治療効果を期待しているのは、慢性関節リウマチ治療薬のケブザラだ。ケブザラの主成分は免疫細胞の表面にある小さなタンパク質分子インターロイキン6(IL6)に結合し、その働きを阻害する抗体だ。IL6には免疫反応を強化する役割があるが、過剰な炎症を引き起こす原因にもなる。 「呼吸の能力が失われることで患者は命を落としている。肺が炎症だらけになるからだ」と、リジェネロンの社長兼最高科学責任者を務めるジョージ・ヤンコプロスは言う。「ここで問題となるのは炎症を引き起こす原因だ。その働きを食い止めることができれば、肺の状態は基本的に落ち着く。そして(免疫)細胞は肺を離れ、問題を起こすような物質を作らなくなる」 ===== 顕微鏡で見た新型コロナウイルス(オレンジ色部分) NATIONAL INSTITUTE OF ALLERGY AND INFECTIOUS DISEASES-ROCKY MOUNTAIN LABORATORIES/NIH リジェネロンは米食品医薬品局(FDA)や米保健福祉省に、審査を優先的に行う「ファストトラック」の対象にケブザラを加えるよう働き掛けている。入院患者を対象とした臨床試験は既に始まっており、いい結果が出れば、近くケブザラは新型コロナウイルス治療薬として承認されるかもしれない。同社では既に数万人の重症患者に使える量のケブザラを生産しているとヤンコプロスは言う。アメリカ以外の国々でのケブザラの販売権を持つ製薬大手サノフィは、同様の臨床試験をヨーロッパで始めている。 さらにリジェネロンは、コロナと戦う武器としてモノクローナル抗体にも注目している。モノクローナル抗体とは、特定のウイルスに取り付いて殺すことを目的に免疫細胞が設計・産出するタンパク質だ。 リジェネロンは、人体で使えるような抗体を産出するように遺伝子操作されたマウスを利用。新型コロナウイルスに感染させた遺伝子操作マウスからさまざまな抗体を取り出し、そこから効果がありそうなものを選び出した。抗体の大量生産には、大型の「バイオリアクター」と呼ばれる装置内で培養した細胞を使う予定だという。 リジェネロンのクリストス・キラツァウス副社長によれば、最も効果の高い抗体を割り出してから、アメリカ国内の患者に広く使える量の薬を供給するのに十分な細胞を作り出すまでに必要な時間は、約4カ月。医療現場からは、8月末くらいには新しい薬が使えるようになるのではと期待する声が上がっている。 体がウイルス感染を撃退するのを支援する治療法の開発も各国で進んでいる。例えばジョンズ・ホプキンス大学のアルトゥーロ・カサデバル教授(免疫学)らは、回復した元患者の血液から抗体を抽出する研究を進めている。感染に打ち勝った元患者の抗体を別の患者に投与しようというわけだ。 新薬開発までの時間稼ぎ策 実は100年以上前から、医師たちはこれに似た戦略でパンデミックと戦ってきた。1918〜20年の「スペイン風邪」のときもそうだった。違うのは、昔は存在しなかった機器や技術が使われている点だ。 カサデバルら研究チームは、自己免疫疾患の患者の血液から抗体を除去する治療に使われる機器などを用いて、新型コロナウイルスから回復した患者から抗体を抽出しようとしている。そして最も強力なものをいくつか選び、患者の治療や医療従事者の感染予防に活用したいという考えだ。必要な機器は既に医療現場で使われているものだから、アメリカ中、いや世界中の都市で同じ手法が使えるようになるかもしれない。 この手法は大量生産可能な新薬の開発には直接にはつながらないものの、新薬が登場するまでの時間稼ぎにはなるとカサデバルは言う。「実用化できれば、人工呼吸器で酸素を供給する以外の治療を患者に施すことができる」と、彼は言う。既に中国では血清を使った治療が行われており、アメリカでも広く行われる可能性がある。 ===== 抗体を大量生産するため細胞を培養するリジェネロンの大型装置「バイオリアクタ―」 COURTESY OF REGENERON 中国やイタリアなど世界各地で治療の最前線に立つ医師たちは、ウイルスとの戦いに使えるものは何でも使うという姿勢で新たな治療法を探っている。今回のパンデミックは発生して日が浅く、こうした治療法に関するデータは十分には集まっていないが、効果を期待できるとする事例報告が上がっており、臨床試験に近いことも行われている。 最も効果が期待され、5月1日にFDAが新型コロナウイルス治療薬として緊急時の使用許可を出したのが、米製薬会社ギリアド・サイエンシズのエボラ出血熱治療薬レムデシビルだ。レムデシビルは、ウイルスが増殖するのに欠かせない酵素を阻害する。エボラウイルスに対する抗ウイルス活性効果が認められ、臨床試験で大きな副作用がないことも明らかになっている。 ヒト以外の霊長類を使った後続の研究では、レムデシビルがコロナウイルス、具体的にはMERS(中東呼吸器症候群)に効くことを示す結果が出ており、各国の衛生当局からは期待の声が上がっている。 レムデシビルの新型コロナウイルス感染者への臨床試験では、アメリカやヨーロッパ、中国など感染者が多い国で被験者を募り、1063人を対象に行われた。静脈内投与の効果を調べ、感染者の回復を早めることが確認されたという。 いわゆるプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)阻害剤も新型コロナウイルス感染症の治療薬の候補に挙がっている。 これはエイズ危機のさなかに開発された抗ウイルス薬で、HIVが細胞内で増殖するために不可欠な役割を担うプロテアーゼに作用し、その働きを阻害する。それによりHIVの増殖を抑え、エイズの発症を防ぐ。その後、C型肝炎など他のウイルスに有効なプロテアーゼ阻害剤も開発された。 SARSなどのコロナウイルスも増殖にはプロテアーゼの一種を使う。だがコロナウイルスはHIVとはかなり異なるため、HIVに有効な薬が効くかどうかは不明で、引き続き研究が行われている。 抗マラリア薬のクロロキンと、それにヒドロキシ基が付いたヒドロキシクロロキンも、新型コロナウイルスへの有効性が期待されている。これらの薬は、ウイルスなど微生物が細胞内に取り込まれるプロセスである「エンドサイトーシス」を阻害する働きがある。この薬はエイズ禍の際にHIVの増殖を抑制できるか試され、その後に実験室で風邪やSARSなどのウイルスへの有効性が試され、ある程度の効果が認められた。 中国の公衆衛生当局は3月16日、北京、広東省、湖南省の10カ所の病院で100人超の患者にクロロキンを投与したところ、熱が下がった、CT検査で肺の影が減った、回復に要する期間が短縮されたなど有効性を示唆するケースがあったという。 治療の最前線で医師たちはさまざまな薬を試しており、今後も有望な治療薬の候補は増え続けるだろう。一例を挙げれば、中国当局は3月、日本の富士フイルム富山化学が開発したインフルエンザ治療薬「アビガン(一般名ファビピラビル)」が武漢と深圳の病院で行われた臨床試験で新型コロナウイルスへの有効性が認められたと発表した。 長期的にはワクチンが必須 ただし、有効性が認められた薬が実用化されるまでには多くの関門がある。まず大規模な臨床試験で効果と安全性が実証される必要があり、多くの新薬はこの段階でふるい落とされる。 ===== 有効性が期待される抗マラリア薬のクロロキンを中国の製薬企業も製造 FEATURE CHINA-BARCROFT MEDIA/GETTY IMAGES 抗HIV薬のロピナビルとリトナビルの配合剤カレトラは、中国での臨床試験では効果が認められなかった。抗HIV薬の新型コロナウイルスへの効果はたまたま改善した症例があった程度で、今のところ確かな証拠はない。クロロキンは多量に投与すれば有毒な場合がある。 安全性と有効性が実証されれば、世界中の膨大な数の患者に薬が行き渡るよう大量に生産できる体制を整えなければならないが、それには何カ月もかかることがあると、世界開発センターのプラシャント・ヤダブ客員研究員は言う。 すぐにでも治療薬を必要とする患者が世界中にいるため、限られた供給量を適正に配分する方法を決めるべきだとの声も、公衆衛生当局者から上がっている。治療薬を迅速に供給するには、役割分担と責任の所在を明確化して手続きを簡素化する必要がある。そのためにはWHO、世界の保健施策に融資する機関、製薬会社のサプライチェーン担当者、各国政府の間で前例のないレベルでの調整を行わなければならない。 「この先行き不透明な状況で、各国政府と国際機関は迅速な決断ができるのか」とヤダブは言う。「発注した病院が全て十分な量を確保できるよう供給システムをどう運営するのか。限られた量をどう配分するか。公的機関の調整能力が問われる」 有効な治療薬ができれば死亡率を抑えられるが、長期的な制圧にはワクチンが決め手になる。ワクチンの開発には早くても1年半かかる。最も有望で開発が先行しているものは、ボストンに本拠を置くバイオテクノロジー企業モデルナが進めているmRNA1273だ。3月中旬に米大手医療団体カイザー・パーマネンテ傘下の研究所で安全性と最適な投与量を調べる試験が始まった。若い健康なボランティア45人に異なる量を投与する計画だ。 ほかにも有力候補としては、ペンシルベニア州に本拠を置くイノビオ・ファーマスーティカルズが開発中のワクチンINO-4800、イスラエルのミガル研究所が鳥の気管支炎ウイルス用に開発したワクチン、米バイオテクノロジー企業ヒート・バイオロジクスが開発した癌のワクチンなどがあり、いずれも新型コロナウイルスへの有効性を調べる試験が行われている。ジョンソン・エンド・ジョンソンやファイザー、GSKといった製薬大手も、ワクチン開発に乗り出している。 こうした動きやその他の試みの少なくとも一部が感染症の克服につながることは、ほぼ誰もが認める。ただ、それがいつ達成できるかは投じられる労力にもよるし、運にもよる。「大きな困難にもかかわらず、人類はペニシリンの大量生産に成功し、ポリオと天然痘を撲滅できた」と、感染症対策の権威であるベイラー医科大学(テキサス州)のピーター・ホッテズ教授は言う。「これほど悲惨な状況になるまで人々が気付かなかったのは残念だが、ようやく世界が協力して(このウイルスの制圧に)挑む体制になった」 <2020年5月26日号「コロナ特効薬を探せ」特集より> 【参考記事】政府はなぜ遅い? コロナ対策には起業家的アプローチが必要だ 【参考記事】アビガンも期待薄? コロナに本当に効く薬はあるのか ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年5月26日号(5月19日発売)は「コロナ特効薬を探せ」特集。世界で30万人の命を奪った新型コロナウイルス。この闘いを制する治療薬とワクチン開発の最前線をルポ。 PLUS レムデジビル、アビガン、カレトラ......コロナに効く既存薬は?