<欧米では禁止の動きが出て論争を呼んでいるイスラム教徒女性の「ヒジャブ」。一方で圧倒的多数の国民がイスラム教徒の国では別の問題が……> 世界最大のイスラム教徒人口を擁するインドネシアで今、イスラム教徒の女性が身に着けて頭部、首、胸などを覆うスカーフ状の「ジルバブ(ヒジャブ)」をめぐる熱い論争が再燃している。 ことの発端はスマトラ島北スマトラ州パダンの中学校に娘を通わせる父親が「学校でジルバブ着用を先生から強制されるのはおかしいのではないか」とSNSを通じて訴えたことだ。 これに対して教育文化省や宗教省、内務省が各大臣の連名で2月3日に「公立学校の教育現場では生徒や児童、そして教師の宗教的属性に関わらずジルバブを含めた服装の選択は自由である」との通達を改めて発出。その後国を挙げての「ジルバブ論争」に発展している状況が続いているのだ。 インドネシアでは、イスラム法(シャリア)が例外的に適用されているスマトラ島北アチェ州と各地のイスラム教学校、私立の教育機関を除いて、全ての公立小中高校では制服の規定はあるものの、宗教に伴う服装の規定は「校則」としては明文化されていない。 ところが人口2億7000万人の約88%はイスラム教徒が占めている。そのため教育関係者、教師などが陰に陽に「イスラム教徒らしい服装着用」を半ば強制するケースがあとを絶たないというのだ。 非イスラム教徒の女生徒にまで強制 公立学校にはイスラム教徒のほかにキリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒など、インドネシア憲法が認める複数の宗教に属する生徒が通学している。そうしたなか、非イスラム教徒の女生徒に対してまでも「ジフバブ着用」を強制するケースが各地でみられるという。 さらにイスラム教徒の女生徒の中にもジルバブを着用しない生徒やしたくない生徒も含まれており、「イスラム教徒だから学校でもジルバブ着用は義務である」との「誤解」に基づく学校側の指導が背景にあるとの指摘もある。 背景に2014年の配布イラスト 公立学校の教育現場での混乱の背景に2014年に教育文化省が出した「公立学校での服装規定」に関する文書に付属したイラストの影響があるという。 その文書添付のイラストには「ロングスカート、長袖シャツ、ジルバブ」が描かれているのだ。これを「制服規定」と受け取った各地方自治体の教育関係部門、学校長、現場の教師などが「ジルバブは着用義務がある」と誤解して生徒に強制的に着用させようとしたことが背景として指摘されている。 ===== 教育文化省は「イラストはあくまで事例であり、ジルバブ着用はそういう組み合わせもあるという選択肢の一つにすぎず、強制ではない」と懸命の説明を繰り返して、「一律な服装規定」から「柔軟な服装規定」への意識転換を求める事態となっているのだ。 国際的人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」もこのほど明らかにした報告書の中で「インドネシアの公立学校では生徒のみならず女性教師、地方行政機関の女性公務員の中にもジルバブ着用の強制事例がある」と指摘している。 古くて新しい論争の再燃 インドネシアでは圧倒的多数のイスラム教徒による「見えざる圧力」の前に、イスラム規範があたかも一般の社会規範であるかのように扱われるケースが多々あり、しばしば人権問題としてクローズアップされることも近年は多くなっている。 普段はジルバブを着用していないイスラム教徒の女性も、たとえば議員や首長選挙などに立候補する場合は必ずといっていいほどジルバブを着用する。これはジルバブが「敬虔で信心深いイスラム教徒女性」の象徴とされているからにほかならないから、といわれている。 これまでもインドネシアでは公立学校における女生徒のジルバブ着用問題は何度かクローズアップされてきたが、その度に学校や教師側は「強制などしていない」と否定。一方で生徒の側は「先生からにらまれた」「無言の圧力を感じた」「友人を介して着用を促された」など一律化へのプレッシャーを感じる状況が報告されることが繰り返され、今日まで根本的な解決策には至っていないのが実状である。 インドネシアはイスラム教を国教とはせず、国民の文化、宗教の多様性を認めることこそが統一国家維持の要としてきた歴史的経緯がある。従って国家原則は「多様性の中の統一」と「寛容」というものであるが、近年イスラム教急進派、保守派勢力などの影響力増加でこうした国是が揺らぐ傾向にあり、インドネシアとしての「アイデンティティーの危機」が叫ばれている。 こうした中で再燃した「ジルバブ強制着用問題」には今のインドネシアが直面する難しい課題が如実に投影しているといえるではないだろうか。 [執筆者] 大塚智彦(フリージャーナリスト) 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など